祝子川散策 つづき

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 祝子地区に千光寺という曹洞宗のお寺があります。この寺は祝子川と堤防を兼ねた道路を挟んだ位置に建っています。境内の石碑に刻まれている由緒によると「神亀元年(724年)開基・・・仁和3年(887年)7月30日近畿七道を襲いし大津波の為流出・・・一時別の場所に移設。現在の場所に戻し今の寺号に改称・・・」とあります。このお寺から100mほどの所にある公民館には「海岸から5.1k、海抜約6.8m」とあります。仁和地震によって相当大きな津波が太平洋側に押し寄せ、ここまで川を遡上して来て被害を拡大したかもしれません。村人の被害の記載はありませんが1100年以上も前のことですから、知るすべもありません。当時は今の様に堤防も無く、全く自然のままの状態であったろうと推測されます。案外村人は毎年の台風や水害等に備えて安全な場所に家を構えていて被害はなかったかも知れません。
 私が持っている毎日新聞の切抜きによると、「東海、東南海、南海地震の3連動で起きたとされる宝永地震(1707年)M8.6(推定)に匹敵する巨大地震が過去7300年間に6回発生云々」とあり、この仁和地震も宝永地震と同等かそれ以上の地震であったと推測されています。東海、東南海、南海地震がそう遠くない時期に発生するかもと言われていますので、一つの教訓にしたいと思います。

 この寺には、幕末大阪で大塩の乱を起こした大塩平八郎の娘「小山せき・関月尼」の墓もあります。流れ流れて島の浦の福聚寺の住職と一緒になり、別れて、又流れ流れてここの住職と一緒になって明治18年63歳で没しています。歌道・遊芸の道に優れた幕末のやんちゃ娘だったのですね。時世の句は ” きのふありて今日はなき身と消えゆくも残るも同じ道芝の露 ”と自筆の句が墓に刻まれています。

 近くにおいでの際は、津波の件の確認と墓にも立ち寄ってみて下さい。

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