延岡と島原の乱

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 先日、長崎県 島原のキリスト教会等が世界遺産登録の話しがありましたが、この延岡の城影寺(高千穂通り)にその関連の史跡があります。

 慶長19年(1614)に南島原・日野江城から延岡へ移封して来た、有馬直純(父はキリシタン大名の晴信)、康純父子は寛永14年(1637)自分の古城である原城に天草四郎を首領とする反乱軍が立てこもったため、将軍家光に参戦を願い出て、2120人の兵を率いて出陣し功績を上げるも戦死者58人を出し、その霊を弔う為供養碑を有馬家の菩提寺、高岳寺(現 城影寺)に建てたのが現在も残っています。出陣兵及び戦死者の中には足軽、農民等も多く含まれていたようです。(写真) 事の顛末については供養碑の横の説明文に詳しく書かれていますので、紙面の都合上省略します。

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城影寺とこの寺の西側にある高岳寺跡の馬頭観音

 後、有馬家は山陰の百姓一揆が起こり、それがもとで糸魚川(新潟県)転封され、元禄5年(1692)まで78年間の延岡での治政を終えました。転封と同時に高岳寺も糸魚川に移されその跡に城影寺・馬頭観音が建てられ現在に至っています。 有馬直純の正室は家康公のひ孫(国姫)で日向御前と呼ばれていたとのことです。その後延岡は現栃木県壬生町から転封して来た三浦家が治政することになります。
 
 ※「gooブログ」に知人の紹介で記事をUPしています。同じタイトルですので見て下さい。「ひろ」

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