延岡と丸岡のつながり

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 今年もまつり延岡が賑わったようです。(私はテレビ中継を見てました)姉妹都市となっている丸岡町からも参加があり、丸岡音頭が踊られていました。延岡と丸岡(現・福井県坂井市丸岡町霞)の関係に触れることにします。写真は2枚ともわいわいテレビの中継画面から転用させて頂きました。
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 元禄5年有馬家は延岡から5万石で糸魚川へ転封(「延岡と島原の乱」で記載)となりましたが、元禄8年(1691)越前国丸岡藩へ移封され、その後糸魚川藩は財政悪化等で廃藩後天領になります。
 石高5万石で丸岡藩に入部した有馬家は、第2代藩主 一準 は若年寄、第8代藩主 道純 は老中になり幕府の要職に就任し、明治2年(1869)6月 道純は版籍奉還により丸岡藩知事になり、明治4年(1871)9月の廃藩置県によって東京に移住して丸岡藩は廃藩となり現在に至っています。
 ※年号等については「ウィキペディア」から引用致しました。

 歴史とは不思議なもので、もし有馬家が糸魚川で明治を迎えていたならば、糸魚川市が姉妹都市だったかもしれません。有馬家も島原から延岡、糸魚川そして丸岡と転封を余儀なくされ、時の権力に翻弄されながらも家を守るために懸命に生きた証しが、こうして「丸岡音頭」として延岡で踊られるのですね。
しかも、有馬家が延岡を離れたのは約320年余り前のことです。不思議な縁と絆を感じます。

 10年程前、北陸を旅した時ガイドさんの案内で、バスの中から丸岡城がチラリと見えました。余り大きな城ではありませんでしたが、国の重要文化財に指定されており、別名「霞ヶ城」とも呼ばれているとの事でした。

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